大橋巨泉のショートエッセイ - 巨泉の本物を見る
ルーヴルもプラドも素通りした
ボクが65歳にして突然「西洋絵画」の魅力にとり憑かれたことは、いろいろな所に書いた。その1999年以来、毎年ヨーロッパやアメリカの美術館、教会、修道院などを廻って、この目で名画を見て歩いた。初めは「何でも見てやろう」方式であったが、そのうち自分の好みも解って来て、どうしても好きな絵の方へ足が向いてしまう。それがもう一度変わったのが、2007年である。この年ダイヤモンド社から、シリーズで「美術鑑賞ノート」を出版することになったからである。
こうなると、どうしても執筆のための「資料」を見に行くことになる。そしてルネサンスの宝庫フィレンツェへ向かった。こうして第2巻のためにバロック絵画を見に行き、第3巻のためにはロココや17世紀オランダ絵画を再確認に出かけた。第4巻の『印象派こんな見かたがあったのか』は、文字通り印象派が中心である。それならフランスへ行けばよいかというと、そうでもない。19世紀はアメリカの力がぐっと伸びた時代で、印象派の作品は、アメリカにも多い。
こうした自らの著書のための旅は、今年最終年を迎えた。第5巻は20世紀である。ボクはフランスを中心に、オランダ、ベルギー、スペイン、イギリスと廻った。しかし訪れた美術館は大いに今までと異なった。パリに6日もいて、一度もルーヴルに足を向けなかった。あそこには20世紀の絵は1枚もないのである。もっぱらパリ近代美術館とオランジュリーに通った。オランダはただただゴッホの再々確認のためゴッホ美術館に直行した。ベルギーでは、王立美術館の下階の方にいた(上階は歴史的名画ばかりである)。
スペインも劇的に違った。まっすぐティッセン・ボルネミッサ美術館に向かい、ここも下階にいた(ここは3階から時代順に下へ行くように展示されている)。それから「プラド」を素通りして、ソフィア王妃センターへ12年ぶりに入った。プラドには20世紀の絵はないし、ソフィアにはピカソの「ゲルニカ」がある。ロンドンでも初めて、現代画ばかりのテイト・モダンに行った。
それもこれも第5巻を、何とか面白く書くためであった。何故ボクが現代絵画に惹かれないか、それを説得力ある筆で書いてみたい。そして書き終えたら、のんびりフィレンツェに帰りたい。