大橋巨泉のショートエッセイ - 巨泉の本物を見る
なぜフェルメールは「謎」なのか。
フェルメールは「謎の画家」と言われる。実は生没年もはっきりしているし、オランダのデルフトという町で一生暮らした。それなのになぜ“謎”と言われるかというと、彼の言葉がほとんど残っていないことに起因していると思う。ゴッホだって、もしあの厖大な弟や妹、友人あての書簡が残っていなかったら、かなり謎めいた画もある。しかし、おそらく無口で、ひっこみ思案だったフェルメールはひたすら父の残した旅館業(美術商も)にはげみ、空いた時間は絵を画いていた。しかもその死後、約200年間は彼の作品は埋もれていたのだ。田舎町の無名の画家に関する書類など、散逸してしまって当然である。
19世紀になってフランス人、トレによって発見され、世界中にファンが増えた。慌てて作品は探されたが、現在三十数点しか見つかっていない。絵がそうなのだから、手紙などは残っていない。研究者は、教会や画家組合の書類などをチェックするのだが、何しろ300年以上経っているのだ。ますますフェルメールに謎がつきまとう。ボクは実は、これは彼にとって、大きなプラスだと考えている。もし彼がゴッホのように筆マメで、多くの書簡を残していたとしよう。そしてモデルのことや、その絵にまつわる話を書き残していたら、どうであったろう。ボクは、彼の作品への興味は半減したかも知れないと、疑っている。
女主人に手紙をもった女中が、妙な薄笑いを浮べて話しかけている。窓辺で手紙を読んでいる女の横顔――表情が読みとりにくい。鏡の前で首にかけたネックレスを、もち上げている女。彼女は何をしようとしているのか。女はなぜ一人で秤をかけているのか。数え上げればキリがない。何の説明もないこれらの絵は、見るものの想像力に働きかけてくる。ボクの持論である「絵画鑑賞のカギは、見るものと作者の心の響き合いである」に、これ以上効果的な作家は居まい。
今回「フェルメールからのラブレター」なる展覧会が日本で開かれると聞いた。タイトルからして、女が一人で手紙を書いたり、読んだりしている絵が並ぶのだろう。解説などは要らない。ホンモノの前にじっと立って、絵と語り合ってみることだ。案外フェルメールはお喋りかも知れない。
「フェルメールからのラブレター展」は、2011年6月25日~10月16日京都市美術館(京都市)、2011年10月27日~12月12日宮城県美術館(仙台市)、2011年12月23日~2012年3月14日Bunkamura ザ・ミュージアム(東京・渋谷)で開催されます。