大橋巨泉のショートエッセイ - 巨泉の本物を見る
守山・静岡・新宿にセガンティーニが来る
ジョヴァンニ・セガンティーニは変った画家であった。名前から想像できるように、彼はイタリア人である。しかしイタリアへ行っても、彼の絵はほとんど見られない(ミラノに修業時代の作品があるが、これがなかなか良い)。わずか5歳で母と死別、父はミラノに出稼ぎに行って、彼は孤独な少年時代を過ごす。ほとんど親類に育てられ、非行に走ったりしていた。その親類にアルプスに連れて行かれ、その雄大な自然に打たれる。この母への思慕と、アルプスの自然が、セガンティーニの生涯のテーマとなった。われわれはイタリアというと、ローマ、ナポリ、ベニスなどを想起しがちだが、トリノ(冬季オリンピック開催地)など、アルプスに近い国でもあるのだ。
だから名前が違ったら、彼はアルプスの画家か、スイス人と間違えられそうだ。画才は幼少時から秀れたもので、非行から立ち直れたのも絵筆のお陰、さらに結婚相手にも恵まれた。彼は一家を率いてスイスに移り住み、しかもどんどん高地へと移住してゆく。ゴッホと同世代人なので、当然印象派の影響を受ける。しかもスーラの分割主義に魅せられた所まで似ている。そしてゴッホがここから独自のスタイルを生み出したように、セガンティーニも、分割主義に独自の遠近法を駆使して、アルプスの美しくも雄大な風景、そしてそこに生きる農民を描く(そういえば、ミレーの農民画を尊敬したことも、二人の共通点である)。
もうひとつ、セガンティーニは、母を慕うあまり、堕胎の罪を鋭く追求する。風景画が次第に象徴的になり、性の快楽に溺れる女性を断罪する絵や、聖なる母性を描いた作品が登場する。
わずか41歳で、高地のアトリエで亡くなったセガンティーニの作品は、同じく若くして逝ったが多作だったゴッホほど多くない。多くはスイスの美術館にあり、個人蔵も多い。だから過小評価されることが多いが、ボクは高く買っている。美術鑑賞ノート・シリーズの第4弾でも、特に彼のためにページを割いた。倉敷の大原美術館の代表作品として、エルグレコやモネが喧伝されているが、ボクに言わせれば、セガンティーニの「アルプスの真昼」を代表とすべきである。詳しいことは本に書いたが、このチャンスにこの一風変った画家の作品に触れてみてください。
「アルプスの画家 セガンティーニ ―光と山―」展は、震災の影響により会期が変更され、2011年7月16日~8月21日佐川美術館(滋賀県守山市)で、9月3日~10月23日静岡市美術館(静岡県静岡市)で、11月23日~12月27日損保ジャパン東郷青児美術館で開催されます。