大橋巨泉のショートエッセイ - 巨泉の本物を見る
ゴヤの画は、版画でも素描でも、じっくり見てほしい
人間寿命があるので致し方ないが、画家にも長命な人と、若くして世を去った人と居る。ピカソやシャガールのように、90歳前後まで生きた人も居れば、ルネサンスの真の創始者ともいえるマザッチョや、ドイツ表現主義の中でボクがいちばん好きなマッケのように、20歳代で夭折した画家も居る。そして長命の画家で、晩年まで傑作を画きつづけた人は、極めて少ない。ピカソにしても「ゲルニカ」以降、それを超える作品はないし、モネだって晩年は同じような睡蓮ばかり画いていた。
そんな中で、近代西洋絵画の父というべきゴヤは、70歳を過ぎてから、有名な「黒い絵」シリーズを完成している。「わが子を喰うサトゥルヌス」など、ギリシャ神話に基づいた作品だが、実は人間の欲望や弱さ、愚かさを見事に描き出している。ボクはダイヤモンド社から出している「美術鑑賞ノート」シリーズの第3巻『誰も知らなかった絵画の見かた』の中で、こう書いた。「もしゴヤが三十代で夭折していたら、西洋絵画史のどこにも名前が見当たらなかったと思う」
若い頃はタペストリーの下絵を画いていて、画風は18世紀の主流だった「ロココ」様式であった。それが50歳代になってから「裸」と「着衣」の両マハをはじめ、「カルロス四世の家族」のような傑作を画く。そして60歳を過ぎてから、ボクが史上最高の反戦絵画と主張する「1808年5月3日」を世に出すのだ。この名作の前では、ピカソの「ゲルニカ」も影が薄い。ピカソも知っていたはずだ。彼はゴヤの名作へのオマージュとして「朝鮮の虐殺」を画いている。
ゴヤの画は、じっくり見る画である。同じく晩年にも優れた作品を残したマティスなどは、少し離れて「癒されたい」画家だが、ゴヤの場合は違う。油彩画だけでなく、版画や素描でも、隅から隅までしっかり鑑賞しないと、ゴヤが言わんとしているものを見逃してしまう。「マハ」にしたって、全体から細部まで落ち着いて鑑賞して欲しい。とに角、近代西洋絵画は、この人の筆から生まれたのだから。
「プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影」は、2011年10月22日(土)~2012年1月29日(日)、国立西洋美術館(東京・上野公園)で開催。