大橋巨泉のショートエッセイ - 巨泉の本物を見る
シャガールを見に高知に行こう
美術ファンにとっては大変有難いことですが、近年日本の地方美術館で結構大きな展覧会が開かれています。それらの多くは大きな新聞社などが主催し、東京・大阪などの大都市のあと(先の場合もあり)、地方都市を廻るケースです。今回、高知県立美術館で行われる「シャガール展」も、そうしたケースなのかも知れません。
ボクは昨年高知県の観光特使に任命されたのですが、それは全く違う理由からでした。昨年(2011年)の春、同県を初めて訪れたボクは、カツオのタタキのおいしさに仰天し、それを素直に週刊誌のコラムに書きました。それを読んだ県の方から委嘱され、断る理由もないので、引き受けた次第です。
ただ同じ文章の中で、高知県立美術館が、シャガールの作品を6点も所蔵していることも書きました。長命だったシャガールの作品は玉石混淆です。ボクは比較的初期の作品を評価していますが、日本の県立美術館が、これだけの作品を所有していることを、報告したかっただけです。
ところが今回、ロシアのトレチャコフ及び、国立ロシア美術館から、45点のシャガールの絵が来日して、「シャガール、愛の物語」が催されます。ボクは作品リストを見て興奮しました。愛妻ベラと空を飛ぶ「街の上で」とか、「結婚式」、「散歩」などが入っていたこともそうですが、何よりもユダヤ劇場の壁画が来ることです。シャガールがパリのオペラ座の天井画を画いたことは、誰でも知っています。しかしこの壁画は、壁画作家としてのシャガールの原点と言えます。ボクはまずこの作品を見たいと思いました。
シャガールは必ずしも「絵が名人」でもなければ、「天才」でもないと思います。つまりラファエロ、ベラスケス、ピカソなどと同等の画家ではないのです。むしろ美術史に残る人としては、下手な部類に入るかも知れません。それなのにこれほど人気があるのは、彼の作品から感ぜられる、巧まざる“稚気”ではないでしょうか。すべての芸術に通じることですが、特に難解に陥りやすい前衛絵画には、これが必要な気がします。シャガールの他、ミロやマグリットにそれを感じます。
シャガールについては、ボクの「美術鑑賞ノート」の第5巻(完結編)「人生が楽しくなる絵画の見かた」に書きました。シャガールの鑑賞の一助になれば幸いです。