大橋巨泉のショートエッセイ - 巨泉の本物を見る
ゴッホの「糸杉」について
いつも皆さんからのフィードバックを、楽しみにしています。今回はその中から、ゴッホの糸杉について書いてみたいと思います。ゴッホについてというリクエストも沢山いただきましたが、それは拙著『人生が楽しくなる絵画の見かた』(ダイヤモンド社刊)に、詳細にわたって書きました(他の画家の約3倍分)ので、そちらを読んでいただければ幸甚です。
生涯貧しかったゴッホは、モデルをやとう金がなく、自然や静物の写生をもとに創作しました。ただその短い人生の中で、時代によって対象物が変ります。有名な『ひまわり』は、アルルで芸術家村を創ろうと希望に炎えていた頃のテーマです。一方この糸杉は、ゴーギャンにその夢を毀されて精神を病み、死の寸前まで行った、サンレミ病院時代によく画かれました。
そしてその最初の作品が、今回来日している、メトロポリタン蔵の『糸杉』で、1889年、死の前年の作です。実はこれが一番明るい『糸杉』なのです。特にバックの空は希望に満ちています。そして大きな糸杉の最上部が、切り取られて“見えない”のは、「可能性」を暗示しているのでしょう。遠景に寒色で描かれた山々は、「不安」の表現だと思います。これがスタートでした。
同じ1889年の『星月夜』は、ニューヨーク近代美術館の至宝です。渦巻く雲、光を放つ月、そしてまたたく星は、「死なないと行けない」場所(世界)なのです。そこと下方の村(生地オランダ?)との間を結んでいるのがこの糸杉です。これは全く写生ではなく、ゴッホの心に浮んだ創作画面だと思います。という事は、この糸杉は、不吉な死の象徴になっているかも知れません。
ところが同じ1889年に画かれた『糸杉のある麦畑』(ロンドン・ナショナル・ギャラリー)には、まったく死の影は見られません。トーンだけをとっても、『星月夜』が寒色中心なのに対し、これは茶やベージュなどの暖色が主になっています。ゴーギャンやベルナールのいわゆる色面が、ここでは現実上の麦畑とか藪とか石とかになっている。単なる装飾的な色面でなく、確固たる存在物として描かれているのです。そして糸杉は「死の象徴」でなく、生命感あふれる生物になっている。ボクはこれを、ゴッホの代表的名作として挙げることを躊躇しません。そしてゴッホを観る楽しさは、このように作者と語り合えるからなのです。
「メトロポリタン美術館展」は、2012年10月6日(土)~2013年1月4日(金)、東京都美術館(東京・上野)で開催