大橋巨泉のショートエッセイ - 巨泉の本物を見る
エディット・ピアフを聞きながら ロートレックを見る
今ヨーロッパ旅行の最中です。実は4月の末に幻冬舎から、『知識ゼロからの印象派絵画入門』という本を出版しました。日本を発ってすぐ、この本がアマゾンの西洋美術部門の第1位になったという報告が入りました。何だかうれしくなって、家内とパリのビストロで乾杯しました。1999年、65歳で西洋絵画に魅せられてから、これで美術の本は7冊目になりました。
何といっても、ダイヤモンド社から上梓した「美術鑑賞ノート」シリーズの5冊が、ボクにとって最大の労作です。このシリーズのために世界中の美術館、教会、修道院などを駆け巡り、どれだけの絵画を見たでしょう。原則として「本物を見なけれが書かない」をモットーとしたからです。中には個人蔵のものもあるので、できるだけ特別展も見るようにしました。従ってこの5冊には、ボクの美術観のすべてが述べられています。
しかし今度の本は少々違います。最初から「知識ゼロからの」という注文があり、切り口も構成も違っていました。ボクだって最初の本を書くまでは「知識ゼロ」でしたから、意外に簡単にこの構成に入って行けました。たとえばドガの踊り子の絵を見るのに、どんな曲をかけたら良いか。ナット・キング・コールの「バレリーナよ踊れ」をはじめ、随分かけました。しかしぴったりだったのは、美空ひばりの「越後獅子の唄」でした。ルノワールの画を一緒に見る女優さんは、クローデット・コルベールになりました。注文に乗って書いているうちに、だんだん乗って来て、意外な人や曲が出て来たのです。
そして今回初めて訪れたトゥールーズ・ロートレックの、アルビにある美術館――実は少々心配だったのです。ボクは一緒に見る女性は、エディット・ピアフ、曲は「バラ色の人生」と書きました。ピアフはロートレックの死後生まれたので、二人は会っていません。しかし152センチの画家と143センチの歌手、二人がもし出会っていたら――とまで書いたのです。あの小さな体からふり絞るようなピアフの歌を、さらりと受けとめて、どうやって描いたでしょうか。ボクはひそかにiPodをもちこんで美術館に入りました。娼婦の館を描いた「ムーラン通りのサロンにて」の前では、目頭が熱くなって来ました。やはり芸術は、「知識ゼロ」からが良いようです。ボクの最初からの考え方が正しかったと、妙に納得してアルビを後にしたのです。